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2012.08.13

岐阜県高山市丹生川町日面
岐阜県郡上市八幡町 

岐阜県高山市丹生川町、国道158号沿いの「飛騨大鍾乳洞」
岐阜県郡上市八幡町の「美山鍾乳洞」・「大滝鍾乳洞」・「縄文洞」・
「郡上鍾乳洞(旧油石洞)」・「蛇穴」
をご紹介します。

0.奥飛騨  「両面宿儺洞と鍋」(岐阜県高山市丹生川町日面)
1.  〃     「飛騨大鍾乳洞」
(       〃          )
2.郡上八幡 「美山鍾乳洞」 岐阜県郡上市八幡町美山)
3.   〃  「大滝鍾乳洞」 岐阜県郡上市八幡町安久田2298)
4.   〃  「縄文洞」    岐阜県郡上市八幡町安久田1553)
5.   〃  「郡上鍾乳洞」 岐阜県郡上市八幡町入間)
6.   〃  「蛇穴(じゃあな)岐阜県郡上市和良町野尻)

上表の順序で紹介します。
まず時価2億円の金塊盗難で有名な

0・両面宿儺洞と鍋
(りょうめんすくなほら)

高山市丹生川町日面

北緯

36

10

55.5

東経

137

25

34.9

両面宿儺洞」は飛騨鍾乳洞の向かいの山の中腹にあります。

これは、土産店裏の山に「両面宿儺洞」があり、地元に残る伝説から「宿儺鍋」が作られました。
時価2億円の金塊盗難事件のあった「大橋コレクション館」は鍋の右の白い建物です。
(詳しくは「初夏の奥飛騨小旅行記」のご覧ください。現在は警察が取り戻した金塊が展示されています)

では両面宿儺と鍋の因縁とは?

                   両面宿儺と鍋
 今からおおよそ千六百年前、出羽ヶ平(丹生川町日両地内=現高山市丹生川町、以前は大野郡丹生川村日面)の岸壁(がんぺき)から身の丈、一丈八寸、一体両面四手両脚の宿儺が、身には甲冑を着して、兵杖を帯び、、二手には斧を持ち、一方の手に印を結んで出現したと伝えられています。
 飛騨・美濃の広い地域には宿儺が十一面観音の化身として、国家安泰五穀豊穣を願い民人のために働いた伝説が残されています。
 しかし、日本書紀には大和朝廷に従わず、討伐の命を受けた、武振熊(たけふるくま=神功皇后に仕えた将軍)と美濃の高沢山( 岐阜県関市神野山、標高354m)で戦い(「両面宿儺の戦い」)破れたと記されています。

 鍋との因縁
 この時、宿儺は村に戦禍を避けるため出羽ヶ平から、出て戦うことを決め、民人からもてなしを受けますが、民に難が及ぶのを気遣い、軒から外れた石を膳に鍋を食べたとされその石が両面宿儺の御膳石として今も大切に守られています。
 故に、五穀豊穣を祈り民人を守り働いた宿儺を偲び、「飛騨にゅうかわ宿儺まつり」が行われ、この鍋が活躍しました。
 鍋は今は老朽化して使われて居ません。
                     (平成二十二年十月七日 飛騨大鍾乳洞観光株式会社)

鍋の脇には「両面宿儺の看板があります。

       両面宿儺について出典:フリー百科事典ウィキペディアより)
 両面宿儺は上古、仁徳天皇の時代に飛騨に現れたとされる異形の人、鬼神である。
 「日本書紀」において武振熊(たけふるくま)に討たれた凶賊とされる一方で、岐阜県の在地伝承では毒龍退治や寺院の開祖となった逸話も残っている。

       『日本書紀』仁徳天皇65年の条に両面宿儺が登場する。
 (日本書紀原文)六十五年 飛騨國有一人 曰宿儺 其為人 壹體有兩面 面各相背 頂合無項 各有手足 其有膝而無膕踵 力多以輕捷 左右佩劒 四手並用弓矢 是以 不随皇命 掠略人民爲樂 於是 遣和珥臣祖難波根子武振熊而誅之

 (現代語訳) 飛騨国にひとりの人がいた。宿儺という。一つの胴体に二つの顔があり、それぞれ反対側を向いていた。頭頂は合してうなじがなく、胴体のそれぞれに手足があり、膝はあるがひかがみ【膕】「ひきかがみ」の音変化》ひざの後ろのくぼんでいる所。)と踵(かかと)がなかった。力強く軽捷で、左右に剣を帯び、四つの手で二張りの弓矢を用いた。そこで皇命に従わず、人民から略奪することを楽しんでいた。それゆえ和珥臣の祖、難波根子武振熊を遣わしてこれを誅した。

があるのは土産物店の裏山の中腹にあります。

両面宿儺洞へ行くには
「飛騨大鍾乳洞」のお土産街の中央辺りにある土産物・食事処の「鐘乳堂」さんを訪ねてください。
ここが両面宿儺遺跡保存会の事務所(0577−79−2033)を兼ねています。
遺跡保存会会長(店主 今尾重雄さん)に洞へ入りたいと、お願いすれば
「熊よけの鈴」を貸して下さって、洞の登り口まで案内してくださって、
柵の鍵を開けて、洞内の電灯の電源を入れて下さいます。
(ただし、先回の飛騨地震により登り階段の一部が壊れていてH25、10中旬頃まで通行禁止)

土産店の裏へ回ると洞への上り口があります。

土産物店の並びを裏へ回ります。

道路脇に登り口の階段と柵があります。

登り口には洞窟まで登れない方のために「両面宿難遥拝所」があります。

「鍾乳堂」のご主人(保存会今尾会長)が鍵を開けてくれて、洞内の電灯の電源を入れてくれます。
途中落石の危険があるのと熊の出没に充分気を付けるよう注意されます。
ただし見物時の被災の補償は無いそうです。

         両面宿儺の伝説 (岐阜県丹生川村企画観光課発行)
 
日本古代史の中で耶馬台国から草創期の、謎の4世紀とされる時期があります。
 即ち、大和王朝発展期に至る約100年の課程です。
 文献的には「古事記」と「日本書紀」に描かれる王権成立と発展の時代であり、大型古墳時代開幕の時でもある。
 およそ1、500余年のむかし飛騨にも大和朝廷の力が及び、大八椅命が斐陀国造に任じられています。
 飛騨を支配していた両面宿儺は朝廷に従わなかったので仁徳天皇の命令を受けた武振熊(たけふるくま)命が討伐の兵を進めました。(つづく)

   両面宿儺の伝説(その2)岐阜県丹生川村企画観光課発行より
 宿儺は頭の前と後ろに顔があり、胴体には前後ろ2本づつの4本の手があり、両脚、足の指は前後に付き、力は強く、動きは軽く捷く、左右に剣を佩きて、四ッ手並に弓矢を用ふと「日本書紀」は伝えています。
 この地、小八賀郷出羽ヶ平に出現し、飛騨美濃に君臨していた。(つづく)

            両面宿儺の伝説(その3)岐阜県丹生川村企画観光課発行より
 宿儺は武振熊命の軍を迎え討とうと、部下を率いて武儀郡高沢山(後ほど7.大日山 日龍峰寺と高沢山で紹介)で待ち伏せしていました。
 長い攻防の末戦いは利あらずと退却し、山の中に姿を消しました。
 宿儺のあとを追って都の軍が中津原(岐阜県下呂市金山町中津原)まで来ると白い鳩が北に向かって飛翔しました。
 武振熊命は一路北を目指し進軍しました。(つづく)

   両面宿儺の伝説(その4)岐阜県丹生川村企画観光課発行より
 武振熊命一行はやがて前方に一際高く聳え立つ乗鞍岳を仰ぎ、宿儺の居場所の予感を受け、左側の渓流小漢僧谷を目指しました。
 宿儺の本拠天然要害の出羽ヶ平両面洞窟を発見し、洞窟を目指して岩山をよじ登り激しい攻防戦がくりひろがりました
 50人力宿儺は岩石を投げ落とし、大木を引き抜いて投げつけ、神業のような敏捷さで走り回って戦い続けました。
 少人数の宿儺勢次第に疲れ、最後は宿儺と武振熊命の組打ちとなり、岩屋の前で凄い一騎打ちとなりました。
 とうとう命に組み伏せられ縛られてしまいました。
 宿儺の超人的な能力に感じ入った命は、降伏して従うよう奨めましたが、頑として聞き入れず、やむなく討ち果たしました。(つづく)

   両面宿儺の伝説(その5)岐阜県丹生川村企画観光課発行より
 後の世になって、弘法大師は宿儺菩薩出現の霊地岩屋内において、護摩供養百日を修勤されました。
 又、円空上人は笑を浮かべた顔と怒っている顔の両方を一度に表現する両面宿儺像を彫作し千光寺(後ほど3.袈裟山 千光寺で紹介)に残しました。
 いずれにせよ、古代史謎の4世紀〜5世紀にかけて統一日本国誕生の一時期に飛騨の両面宿儺
が大きく存在していたとの伝承であります。(おわり)

途中鉄製の階段を約20分かけて、4折れ登ると両面宿難洞へ着きます

奥の宿難像までは約5分

両面宿難は大変な場所に住んでいたのです。

両面宿難の詳しくは「両面宿難の飛騨善久寺・千光寺編」をご覧下さい

次に飛騨鍾乳洞をご案内します。

時価2億円の金塊盗難
1・飛騨大鍾乳洞

高山市丹生川町日面 

昭和四十年代に開館し当時のマイカーブームに乗り大繁盛しました!
その後敷地内に個人コレクション館「大橋コレクション」を開設し、「2億円」金塊を展示し入場者に触らせていましたが、
平成19年(2007)3月に白昼、3人の男に襲われ「金塊」が奪われたことで、再び話題を呼びました。

入場料は大橋コレクション館と鍾乳洞見物を合わせた金額です。
現在は高山市(元丹生川村)に寄付され大人1,000円、小・中学生500円

入場料はこの「飛騨ミュージアム美術博物館」入館料も含まれています。

営業案内

館内は撮影禁止のため画像なし
(画像は入場パンフレットより)

100kg2億円)の金塊が71,1kg戻ってきた。
(画像は入場パンフレットより)

さて、いよいよ鍾乳洞内へ!

博物館からブリッジを渡ると山の中腹に入口があります。

中は夏でもヒンヤリ暗くて一瞬「怖い!」

飛騨鍾乳洞内見取り図

この画像は「飛騨大滝鍾乳洞」のHPから借用してますので
パソコンがインターネットに接続されいないと表示されません。

まずは「海ゆり化石」

足場はしっかりコンクリート製で安全!

照明があり階段も安全です。

見事な鍾乳石が続きます

 「七福神」

広い場所に出ました

「神秘のローソク」(ここまで約11分

飛騨大鍾乳洞の特徴
昭和40年4月18日、故「大橋外吉」氏により発見されました。
その後開発を経て昭和43年6月15日から観光鍾乳洞としてお客様にごらんいただけるようになりました。
日本の観光鍾乳洞では一番標高が高い場所(標高900m)に位置し、洞窟内の温度は年間を通じて
8〜11度となっています。

今は標高900mですが2億5千万年前は海底にあり、海中生物の市外が降り積もりできて
石灰岩が飛騨大鍾乳洞を創りました。
(現地説明板より)

「学名」洞穴シールド(ここまで約12分

「第1出口」
足腰に自信のない方はこちらからお帰りください。
(ここまで入口から約12分です。)

この先にも途中出口があります。第2の出口約20分の場所です。
最終出口までは約30分です。

飛騨鍾乳洞内見取り図

この画像は「飛騨大滝鍾乳洞」のHPから借用してますので
パソコンがインターネットに接続されいないと表示されません。

30mの川底のトンネルを通って第2洞へ出ます。

「王冠」はうまく撮れませんでした。
ここまで約20分

途中に滝もあります。
「幸福の滝」(ここまで約20分

東洋一の石筍(せきじゅん)
正面の高いところにあります。(ここまで約23分

ここに第2の出口があります。
(ここまで約25分でした。)

真上に洞が延びています。

名称を忘れました。

「大仏の耳」、「多宝塔}
ここまで約28分でした。

もうすぐ出口です。

やっと出口へ着ました。(入口から約30分

入口から約30分でした。
ドアーを開けると眩しい夏の陽が射していました。

出口はだいぶ高い山の中腹へ出たようです。

みやげ物店と食堂が待っていました。
ヒンヤリとした洞の中から出ても、やはりカキ氷が一番!

駐車場までは、かなりの階段と廊下を下ります。

長い長い廊下を下ります

途中に土産店と食堂があります

まだまだ下りの廊下は続きます。

やっと駐車場が見えてきました。

広場の売店は暇そうでした。

続いて郡上八幡町の「美山鍾乳洞(八幡大鍾乳洞」・「大滝鍾乳洞」・「縄文洞」
・「郡上鍾乳洞(
油石洞)」をご案内します。

左から         
縄文洞=(地図の間違い)          
大滝鍾乳洞=(地図の通り)         
美山鍾乳洞=(旧八幡大鍾乳洞)      
?=(地図には大鍾乳洞と有りますが不明)
郡上鍾乳洞=(旧油石洞=バス停名と同じ)

郡上八幡で一番最初の鍾乳洞だそうです。

2・美山鍾乳洞

岐阜県郡上市八幡町美山 

北緯

35

44

54.7

東経

137

01

41.5

世界でも珍しい「立体迷路型鍾乳洞」です。

立体的迷路型タテ穴鍾乳洞
頂上の出口から見る「御岳」さんは素晴らしい!
深さ80m、東西160m、南北130mで上下6段にホールやトンネルるが広がります。

大人(中学生以上) 800円, 小人(3才〜小学生) 400円

                    現地の説明板より
 天然記念物にも指定されており、立体迷路型の世界でも珍しいタテ穴式鍾乳洞です。
 総延長は約2000m以上あり、そのうち一般観光洞は約800mです。
 開発するときにも手を加えず、大自然をそのまま残し造られています。
 2億5千万年以上かけて造り上げた造形美と壮大なスケールには圧倒されるでしょう。
 また照明の無い未開洞では、洞窟探検(ケイビング)を体験することができます。
 施設内では食品サンプル体験教室もあります。
                   美山鍾乳洞の特徴
 この付近一帯は美山洞穴郡と呼ばれ、約2億5千万年前のペルム紀の海底で出来た石灰岩が多くあり、その中に数十の鍾乳洞が分布しています。
これらの洞穴から、現在では日本にいないナウマン象、ヘラ鹿、ヒョウ、大角鹿など住む所の違う動物の化石が一緒に発見され、さながら博物館といったところです。
                               (現地説明板より)

洞窟探検(ケイビング)も予約すればできます。

洞への入口まで少し歩きます。

名前の間違いの基の杭
この立杭がインターネットで混乱を起こしている原因です。
美山鍾乳洞なのに「郡上市天然記念物 八幡大鍾乳洞」のままでした。

ここにも「大」の上に
「美山」の文字が書いてあります

入ったすぐが「1.揺監の間」

続いて「2.仙人の乳房」そしてこの「3.緞帳(どんちょう)の間」

続いて「4.竜宮の間」

見物客が投げたお賽銭がイッツパイ!

次は「5.希望の亀」

「6.夢のシャンデリア」

「7.月宮殿」

「8.地蔵堂」

「8.地蔵堂」から「9.竜宮殿」

「9.竜宮殿」

「10.鐘乳銀座」

急な階段を上下するので子供達は大喜び!

「11.夢の宮殿」

「12.辛苦路」

どんどん下って「13.天恵の石柱」へと続きます

「14.愛のトンネル」を通って「15.仙洞の間」

道は地底へどんどん下ります

「16.伏竜の間」

「17.昇竜殿」

次はどんどん登ります

「17.昇竜殿」から「18.月光殿」へは平行移動です。

まだまだ続きます。

「18.月光殿」へ出ました。

「18.月光殿」

「19.珊瑚通り」から「20.万象の聖」

そして「21.地獄通り」から「22.紅葉谷」

「23.真珠の滝」

滝つぼには硬貨がいっぱい撒かれていました。

「24.愛憎の谷」から「25.観音堂」へどんどん登ります。

「26.雪渓の大瀑布」

「27.天人の間」から「28.羽衣の渓谷」

こうもりだ!出口が近い
「29.黄金の谷」から「30.天人の舞踏場」の途中、蝙蝠(こうもり)が休んでいた。

「30.天人の舞踏場」

「31.千仞の谷」

先方に外の明かりが見えてきました。

 出口です。


岩の隙間から外へ出ます。

外は凄いパノラマです。
正面に「御岳」さんが見えます。

かなり高い所まで登ったようです。
駐車場まで下ります。

郡上八幡「大滝鍾乳洞」は国道256号を美山鍾乳洞へ向かう途中の「堀越峠」を右折(西)の
約2km先に二つの鍾乳洞があります。

左から         
縄文洞=(地図の間違い)          
大滝鍾乳洞=(地図の通り)         
美山鍾乳洞=(旧八幡大鍾乳洞)      
?=(地図には大鍾乳洞と有りますが不明)
郡上鍾乳洞=(旧油石洞=バス停名と同じ)

まず「八幡大滝鍾乳洞」

3.郡上八幡・大滝鍾乳洞

岐阜県郡上市八幡町安久田2298 

北緯

35

43

49.8

東経

136

58

54.3

大滝鍾乳洞は総延長2kmに及ぶ東海地区最大級の石灰洞窟です。
        現在は鍾乳石の発達した約700mの通路を公開しています。
        洞窟内最深部には落差30mの地底滝があり、これに代表される豊富な水が
        今なお鍾乳石を成長させています。このため大滝鍾乳洞の鍾乳石は本来の
        色である乳白色のものが多いのが特徴です。
        金属イオンが溶け込み赤くなった鍾乳石や光を透す透明度の高い鍾乳石、
        数え切れない石華等さまざまな種類の鍾乳石をご覧いただくことができます。
(以上パンフレットより)

この鍾乳洞は洞内の大きなが売り物です。

入場券は「大滝鍾乳洞」「縄文洞」をセットで買うと多少割引になります。
大人 1,000円, 中高生 800円, 小人(5歳〜) 500円. (ケーブルカー乗車券込み)
 縄文鍾乳洞とのセット入場券 大人 1,300円, 中高生 1,100円, 小人(5歳〜) 650円.

鍾乳洞へ入るにはケーブルカーで登ります。

鍾乳洞入口

                         大滝鍾乳洞
 本洞は古生代の石灰岩中に生じた断層が地下水によって溶解・拡大されてできたものである。
 東西270m、南北40m、高低差100mの範囲に八層にわたり生成している。
 現在までの調査でも、既に1000mを超える通路・広間が知られており、
 更に上部に延長が期待される当八幡地域最大級の鍾乳洞である。
                        (現地説明板より)

鍾乳石は小さなものばかりで美山鍾乳洞を見た者には物足りません

唯一の売りの「滝」へ着きました

                   大滝
 地底の滝では日本一の規模を誇るこの滝は高さ約30m、その水源はまだ探査されていないが約  4kmさかのぼっていると思われます。
 滝の位置は地表より60m下にあり、大滝鍾乳洞のシンボルっとなっています。
                         (現地説明板より)

ほとんど岩ばかりの洞道です

出口が見えてきました

帰りの山道の下に登りに乗ったケーブルカーが見えました。

釣り堀や土産物店などありますが鍾乳洞としてはお勧めできません!

次は縄文洞(鍾乳洞ではありません)

4.郡上八幡・縄文洞

岐阜県郡上市八幡町安久田1553

北緯

35

43

51.4

東経

136

58

24.4

縄文洞

 東西100m,南北55m,高低差55mの範囲に、7層にわたって形成されつつある多層迷路型の鍾乳洞で、数々の「溶蝕痕」で知られています。
 上部の広間は、縄文早期から弥生時代に至る先住民の住居跡(チケット写真)で、炉の跡や土器,人骨などが見つかっています。 
 この住居跡は、出入り口が不明で、おそらく開口していた出入り口が後に鍾乳石で被覆されたと考えられています。

縄文人が住んでいた痕跡があるのが名前の由来です。

「安久田地獄穴洞窟遺跡 付 縄文土器」碑脇のを通り木橋を渡ると洞口へ着きます。

東西100m,南北55m,高低差55mの範囲に、7層にわたって形成されつつある多層迷路型の鍾乳洞で、
数々の「溶蝕痕」で知られています。
 上部の広間は、縄文早期から弥生時代に至る先住民の住居跡で、
炉の跡や土器,人骨などが見つかっています。 
 この住居跡は、出入り口が不明で、おそらく開口していた出入り口が後に鍾乳石で被覆されたと考えられています。

縄文人が住んで居た痕跡の焼けた木片

この辺りに多少鍾乳石があります。

この広間は縄文時代から弥生時代にかけて住居に利用された場所です。

やがて出口です

縄文人の住居に興味のある方は最適です。

大滝鍾乳洞・縄文洞から
国道256号の堀越峠まで戻り国道を東へ進むと約3kmほどの道端に看板が見えます。
(郡上八幡の一番奥(東)の鍾乳洞で「和良(わら)」に近いところです。)

5.郡上八幡・郡上鍾乳洞
以前は油石洞と呼ばれていました

岐阜県郡上市八幡町入間

北緯

35

45

15.0

東経

137

02

28.3

大人 500円

国道256号の「貢間」地区あたりの大きな看板が目印です。

以前は、油石洞とよばれていた鍾乳洞です。
 水深数メートルの地底湖がいくつもあり、それらが水路でつながり、さながら地下運河の様相を見せています。 
 鍾乳石は、あまり発達していませんが、郡上鍾乳洞群の中では水量が豊富で
他の鍾乳洞とは、趣を異にしています。

看板の反対側の民家が持ち主のようです。
訪ねたときはお盆過ぎの週末(H25,8、17、土曜日)でしのでお休みでした。

土日のみ公開と聞いていましたが休日(留守!
持ち主の家の脇を奥へ入ると入口があります。
東京方面から訪ねて来たご夫婦も残念そうに暗闇の奥を覗いておいででした。

郡上鍾乳洞(久油石洞)
 郡上鍾乳洞群のひとつとして国道256沿いにあります。
 幾層もの連続的地下空間を造り出したいくつかの地底湖を自然の水路でつながった地下運河が見所です。
(現地説明板抜粋)

次は「蛇穴」へ
鍾乳洞ではありませんが、「郡上鍾乳洞」より国道256を東へ約2kmほどの北側の谷を登ったところにあります。

6.郡上八幡・蛇穴(じゃあな)

岐阜県郡上市和良町野尻

北緯

35

44

22.2

東経

137

04

19.9

蛇穴」国道256を和良村へ入って鹿倉川の橋の袂を北へ入る2km程に在ります。

              蛇穴(じゃあな)
 美しい清水が湧き出る奥行き約25mの鍾乳洞。
 昔、見るも恐ろしい大蛇が出て天に昇っていったという伝説が残っています。 この水は岐阜県の名水50選になっているほか、この水を使って「福和良泉(ふくわらい)」という地酒が造られています。
              (郡上市観光連盟公式サイトより)

以上で「飛騨大鍾乳洞」