×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

 岐阜県高山市・飛騨市 

2012・07・25

 夏休みで道路など混雑しないうちに飛騨方面へ三泊四日の小旅行で「飛騨大鍾乳洞」・
「新穂高ロープウェイ」・「リスの森」・「松倉城址と馬の足跡岩」を楽しんだ記録と、
宿泊先の「ホテルアソシア高山リゾート紹介」を掲載させていただきました。

まずは宿泊先のホテルアソシアに到着

ホテルアソシア
高山リゾート

高山市越後町1134 

アソシアホテル・高山リゾート
アソシアホテルはJR東海グループのホテルで新幹線沿いの名古屋・豊橋・静岡・新横浜にあります。
リゾートホテルは、この高山リゾートのみで約20年前から利用させていただいています。

今回は3泊4日の予定です。

第1日目は20年ぶりに国道158号沿いの「飛騨大鍾乳洞」へ行くことにしました。

飛騨大鍾乳洞

高山市丹生川町日面 

昭和四十年代に開館し当時のマイカーブームに乗り大繁盛しました!
その後敷地内に個人コレクション館「大橋コレクション」を開設し、「2億円」金塊を展示し入場者に触らせていましたが、
平成19年(2007)3月に白昼、3人の男に襲われ「金塊」が奪われたことで、再び話題を呼びました。

入場料は大橋コレクション館と鍾乳洞見物を合わせた金額です。
現在は高山市(元丹生川村)に寄付され大人1,000円、小・中学生500円

駐車場の目の前に「日本一宿儺鍋」が目に入ります。(以前は無かった!)

両面宿儺鍋
りょうめんすくななべ)

これは、土産店裏の山に「両面宿儺洞」があり、地元に残る伝説から「宿儺鍋」が作られました。

では両面宿儺と鍋の因縁とは?

                   両面宿儺と鍋
 今からおおよそ千六百年前、出羽ヶ平(丹生川町日両地内=現高山市丹生川町、以前は大野郡丹生川村日面)の岸壁(がんぺき)から身の丈、一丈八寸、一体両面四手両脚の宿儺が、身には甲冑を着して、兵杖を帯び、、二手には斧を持ち、一方の手に印を結んで出現したと伝えられています。
 飛騨・美濃の広い地域には宿儺が十一面観音の化身として、国家安泰五穀豊穣を願い民人のために働いた伝説が残されています。
 しかし、日本書紀には大和朝廷に従わず、討伐の命を受けた、武振熊(たけふるくま=神功皇后に仕えた将軍)と美濃の高沢山( 岐阜県関市神野山、標高354m)で戦い(「両面宿儺の戦い」)破れたと記されています。

 鍋との因縁
 この時、宿儺は村に戦禍を避けるため出羽ヶ平から、出て戦うことを決め、民人からもてなしを受けますが、民に難が及ぶのを気遣い、軒から外れた石を膳に鍋を食べたとされその石が両面宿儺の御膳石として今も大切に守られています。
 故に、五穀豊穣を祈り民人を守り働いた宿儺を偲び、「飛騨にゅうかわ宿儺まつり」が行われ、この鍋が活躍しました。
 鍋は今は老朽化して使われて居ません。
                     (平成二十二年十月七日 飛騨大鍾乳洞観光株式会社)

鍋の脇には「両面宿儺洞」の看板があります。

       両面宿儺について出典:フリー百科事典ウィキペディアより)
 両面宿儺は上古、仁徳天皇の時代に飛騨に現れたとされる異形の人、鬼神である。
 「日本書紀」において武振熊(たけふるくま)に討たれた凶賊とされる一方で、岐阜県の在地伝承では毒龍退治や寺院の開祖となった逸話も残っている。

       『日本書紀』仁徳天皇65年の条に両面宿儺が登場する。
 (日本書紀原文)六十五年 飛騨國有一人 曰宿儺 其為人 壹體有兩面 面各相背 頂合無項 各有手足 其有膝而無膕踵 力多以輕捷 左右佩劒 四手並用弓矢 是以 不随皇命 掠略人民爲樂 於是 遣和珥臣祖難波根子武振熊而誅之

 (現代語訳) 飛騨国にひとりの人がいた。宿儺という。一つの胴体に二つの顔があり、それぞれ反対側を向いていた。頭頂は合してうなじがなく、胴体のそれぞれに手足があり、膝はあるがひかがみ【膕】「ひきかがみ」の音変化》ひざの後ろのくぼんでいる所。)と踵(かかと)がなかった。力強く軽捷で、左右に剣を帯び、四つの手で二張りの弓矢を用いた。そこで皇命に従わず、人民から略奪することを楽しんでいた。それゆえ和珥臣の祖、難波根子武振熊を遣わしてこれを誅した。

洞があるという山の中腹あたりの画像

機会があれば「宿難洞」へは行ってみたいと思います。
(みやげ物店のご主人に頼めば15分くらいの場所ですので案内していただけるそうです)

では、「飛騨ミュージアム・美術博物館」と「飛騨大鍾乳洞」へ入場します。

入場料はこの「飛騨ミュージアム美術博物館」入館料も含まれています。

館内は撮影禁止のため画像なし
(画像は入場パンフレットより)

100kg2億円)の金塊が71,1kg戻ってきた。
(画像は入場パンフレットより)

さて、いよいよ鍾乳洞内へ!

博物館からブリッジを渡ると山の中腹に入口があります。

中は夏でもヒンヤリ暗くて一瞬「怖い!」

まずは「海ゆり化石」

足場はしっかりコンクリート製で安全!

照明があり階段も安全です。

見事な鍾乳石が続きます

 「七福神」

広い場所に出ました

途中に滝もあります。

日本一の石筍

やっと出口へ着ました。(入口から約40分

ドアーを開けると眩しい夏の陽が射していました。

出口はだいぶ高い山の中腹へ出たようです。

みやげ物店と食堂が待っていました

駐車場までは、かなりの階段と廊下を下ります。

長い長い廊下を下ります

途中に土産店と食堂があります

まだまだ下りの廊下は続きます。

やっと駐車場が見えてきました。

広場の売店は暇そうでした。

大鍾乳洞から帰って早速露天風呂へ

二日目は新穂高ロープウェイで2,156mの穂高口まで足を伸ばしました。

新穂高ロープウェイ

高山市奥飛騨温泉郷新穂高 

高山市から国道158号で平湯温泉へ、そして新穂高温泉郷へ

「新穂高温泉駐車場」へ着きました。(駐車料金は¥500

第1ロープウェイ「新穂高温泉駅」から出発です。

駅はガラーン。 ロープウェイは毎時00分と30分発です。

「西穂高口駅」まで往復大人2,800円、子供1,400円
(車で来た方は、直接「しらかば平駅」駐車場まで昇ると駐車場無料で
往復大人2,700円、子供1,350円です。)

「鍋平高原駅」までは4分です

途中ゴンドラのすれ違いです。
急勾配をグングン昇ります。
冬はこのロープウェイ下がゲレンデになります。
(若い頃はこの急勾配を滑って自慢したものです。)

鍋平高原へ着きました。第2ロープウェイへ乗り換えます。

二つ目のロープウェイは2階建て!

定員は60名×2=120名を一挙に2156mまで運びます。

第2ロープウェイ「二階建てゴンドラ」に乗り換えです。

「西穂高口駅」までは7分です。

大正七年に噴火した「焼岳」です。
(向こう側が長野県上高地で噴火により出来た「大正池」があります)

ゴンドラに沿ってスキーコースが見えます。

120人乗りのゴンドラはガラ空きです。

後ろには笠ヶ岳(2.898m

「西穂高口駅」(2156m)が見えてきました。

約7分で標高1,308mから2,156m

駅舎は2F「待合室」、3F「売店」、4F「軽食コーナー」、屋上「展望台」です。

4F「軽食コーナー」で一休み

展望台は360度のパノラマです!

笠ヶ岳方面
錫杖岳(2、168m)・笠ヶ岳(2、168m)・双六岳(2、860m)・左俣岳(2、674m)へと続きます。

双六岳〜左俣岳方面
双六岳(2、860m)・弓折岳(2、568m)・もみ沢岳(2、784m)・左俣岳(2、674m)へと続きます。

左俣岳〜西穂独標方面
左俣岳(2、674m)から雲に隠れた槍ヶ岳(3、180)雲の切れたピークが独標・大切戸(キレット)へと続きます。

西穂独標方面
特徴ある西穂の独標(2,701m)から右へなだらかな尾根の端に「西穂山荘」(2,300m)があります。

展望台から西穂山荘口まで散策します。

途中開祖「播隆上人」碑があります。

江戸中期に槍ヶ岳に初登頂し開山した「播隆上人」碑があります。

「播隆上人」由緒
 天明二(1782)年、富山県大山町の農家に生まれる。 出家後、浄土宗に入門、念仏修行の旅に出る。
 文政四(1821)年、高原郷(現上宝村)を訪れる。 文政五(1822)年に笠ヶ岳に登る。
 その後、登山道を開き、笠ヶ岳登山の再興を果たす。
 文政十一(1828)年には槍ヶ岳には初登頂したとされ、開山を果たす。
 天保十一(1840)年、美濃太田にて永眠。 享年五十九歳、 日本最古の文献「迦多賀獄再興記」を残す。
   (現地説明板より)

あちこちにケルンがあります。

 ケルン(英:cairn)とは、ケアンケアーンとも言われ、天然には生じない、人によって組み立てられた積み石である。
 通常、高地地帯やムア、稜線、山頂付近などに作られる。
 日本語では、「ケルン」と呼ばれることが一般的。

 ケアンはいくつかの目的のために構築される。

  • 埋葬場所の特徴付け及び慰霊
  • 山の頂上を特徴付けること
  • 特定のルートを示す道標

出典:フリー百科事典ウィキペディアより)

西穂登山事務所まで足を伸ばしてみました

「西穂高方面」への登山届けを出す、登山事務所が見えてきました。

事務所の前には登山者が休憩していました。

これより先は登山装備をしていないと立ち入りは出来ません。

一回りして「西穂高口」ロープウェイ駅まで戻りました。

軽食は営業終了でした。
下の駅で軽食をとることにしてゴンドラに乗ることにしました」。

下りは二階建ての下の階に乗ることにしました。

「西穂高口駅」(2,156m)から「しらかば平駅」1,308m)まで7分です

「しらかば平駅」1,308m)が見えてきました。
(左側の駅舎は旧ゴンドラの駅舎です)

第1ロープウェイに乗り換えです。

冬のスキーヤーのために第1と第2駅がスキーヤのために高低差が付けてあります。

下の軽食店も営業終了でした。

3泊目のアソシアリゾートはレストラン階をご案内します。

次は「ホテルアソシア高山リゾート」近くの「飛騨リスの森」の報告です。

飛騨リスの森

高山市松倉町2351-7 

入園料は「大人:780円、子供380円」です。

入園料を払って入園

入園は手の消毒とリスが逃げ出さないように二重のゲートと通ります。
入口で餌(100円)を購入します。

「縞リス」以外のリスは1種類のみでした。

 

飛騨松倉城址と秘話

高山市 

アソシアホテルから「リスの森」へ向かう道中に

            松倉落城の秘話「馬の足跡(岩)」
 振り返り見上げる松林の峰が、飛騨国司姉小路(あねがこうじ)中納言三木左京太夫自綱(よりつな)の居城「松倉城址」である。
 天正十三(1585)年旧暦八月、豊臣秀吉の命を受けた金森長近・可重父子は、合崎山を本陣と定め松倉攻めにかかったが、自綱の息子秀綱が籠る城の守りは固く、攻めあぐねていた。
 そこへ、三木の家臣、藤瀬新蔵の裏切りによる放火があり、秀綱以下が慌てふためくところ、「頃やよし」と金森勢は、鬨の声をあげ攻めた。
 城方は散々の体にて落城となり、猛火の中、城を最後まで見届けた総大将秀綱も「もはや、これまで」と、愛馬にまたがり一気に飛び降りた。
 それが、この岩上であると伝えられている。
 その後秀綱は、平湯から安房(あぼう)を越え、信州福島興禅寺の伯父、桂山和尚を頼って身を寄せようとするが、途中郷民の手にかかって、あえなく落命した。

 馬の足跡が残るこの巨岩は、四百余年を経た今も、山仕事や松倉観音参詣に行き来する人々に、秀綱を哀れむ松倉落城の秘話として語り継がれ、更に、この足跡を踏み締めれば足腰が強く、丈夫になると言い伝えられてきた。

 昭和六十三年夏、折りしも大規模林道開設により、この足跡岩が埋め捨てられることを知った里人は、ことは重大であると高山市に陳情したところ、市の好意により、この地に飾り据えることとなったものである。
                        (昭和六十三年秋 「松倉馬の足跡」保存会)

松倉山856m
松倉城址のある松倉山へは国道41号へ下り「飛騨の里」から車で約1km登ります

 

飛騨松倉城址

高山市 

松倉城址への道は「飛騨の里」から車で山道を1,5km登り峠の広場から徒歩で700mほどの場所にあります

峠の広場
左の階段が「松倉城址」への山道です

石垣の本格的な城郭建築
本丸を中心に土塁でなく、石垣で大手門、二の丸、三の丸を作った本格的な城郭建築であった。

              史跡松倉城
 応永年間、三木正頼は南飛竹原郷におこって益田郡を横領し、数世の後自綱(よしつな)にいたって高山盆地に侵入した。
 天正七年(1579)、松倉城はこの自網により築かれたものである。
 天正十年(1582)、八日町の一戦で強豪江馬輝盛を倒すと、鍋山城主広瀬宗域らを次々に倒して、飛騨全土を平定した。
 この頃、自網は、越中の佐々成政に通じて秀吉に従わなかったので、天正十三年(1585)秀吉は家臣金森長近に命じてこれを撃たせた。
 自網は高堂城に向かえて戦って破れ、秀網は松倉城によって死守した。
 しかし、勇将畑安高が(山城宗次に)討たれ、また藤瀬新蔵が裏切って金森に通じ、闇夜に火を放ったので城は落ち、三木はここに滅び、以後長く廃城となった。
 城は本丸、二の丸、三の丸の面影を残し、飛騨における有数の城址である。
 昭和31年11月14日、県の指定史跡となった。
                      (飛騨の里 登り口 説明版より) 

堀 切(空堀)

500mほど登ると城址の痕跡が現れます

本丸手前から砦跡の石垣が現れます。

搦手(からめて)門跡

南石門の跡

本丸跡の広場が見えてきました

本丸跡の石垣

本丸跡(松倉山山頂 標高856m

                史跡「松倉城址」
 三木良頼(よしより)、自網(よしつな)によって、永禄年間(1558〜)から天正年間中頃(1573〜)にかけて築城された。
 三木良頼は永禄元年(1558)長子良網(自網)を将として、天神山城(後の高山城)の高山外記(げき)と畑佐城(新宮町)の山田紀伊守(きいのかみ)を討った。
 三木良頼は天正五年(1577)中山城(下岡本町)の岡本豊前守(ぶぜんのかみ)を討ち、白川郷を除く一円を支配し、桜洞(益田郡萩原町)を冬城に、松倉城を夏城とした。
 松倉城は山城ながら山上の本丸に矢倉(やぐら)、城門を置き、標高856mの松倉山上に巨石を使って、堅固な石垣を築き上げている。
 戦国末期の山城から一歩前進した雄大な縄張り(なわばり)を持つ城である。
 天正十三年(1585)金森長近(かなもりながちか)、可重(ありしげ)父子に攻められて落城し以後廃城となった。
                            (高山教育委員会)

城址から北方を
国道158号(白川街道)沿いにある「崇教真光本部」や「松倉中学校」遠くに「飛騨総合庁舎」などが見えます。

 

ホテルアソシア
高山リゾート  No.2

高山市越後町1134 

温泉棟(下の写真茶色の棟)の5・6・7階は温泉施設スパウイング「天望の湯」があります。

温泉棟は本館2棟の右側の茶色の建物で、温泉施設は5〜7階に在ります。

温泉棟への畳の連絡廊下
リゾートホテルのため1階のロービー、二・三階のレストラン階以外は浴衣・スリッパでOK!、

一泊すれば両方楽しめる
「天の湯」、「望の湯」の二階層にまたがる温泉フロアは日替わりで男女入れ替え制です。
宿泊当日が7階の「天の湯」であれば、翌日の朝風呂は5階の「望の湯」に入れます。
風呂は内湯に加えて檜風呂・岩風呂や寝湯などバラエティ豊かな10種の露天風呂が楽しめます。

大浴場案内とスパフィトン(全身美容)受付

「6階」
 
テラスレストラン「遊食楽」のある階です。

お値打ちに飛騨の味が楽しめる座敷とテーブルコーナーと、
開放的なデッキとテラス、自販機コーナーなど浴衣のまま楽しめます。

テラスレストラン「遊食楽」

テーブルコーナー
食事はテーブルコーナーと座敷で出来ます。

二階のレストランと異なり風呂上りに浴衣のままでくつろげます。

展望デッキ

雄大なアルプスを眺め、デッキで風に吹かれて風呂上りからだのホテリを冷やせます。

親水コーナー(足湯コーナー)

「7階」
7階は温泉施設スパウイング「天の湯」があります。
温泉の泉質は低張性弱アルカリ性温泉(加温、ろ過循環方式)です。

天の湯

気泡風呂付内風呂・サウナ・岩風呂・樽風呂・楕円型壷風呂・うたせ湯・石樋湯

湯内は気泡風呂付内湯と洗場サウナ室

岩風呂

樽風呂
(望遠鏡は町並みは見えないように工夫されています・勿論無料です。)

楕円型壷風呂

打たせ湯(この画像はホテル・アソシアのHPから借用したもので5階の「望の湯」の「寝湯」のものです

石樋湯

「5階」
5階は「望の湯」です。

望の湯

内風呂・サウナ・岩風呂・檜風呂・円型壷風呂・寝湯・壁湯

内湯

岩風呂

檜風呂

円形壷風呂

寝湯(この画像はホテル・アソシアのHPから借用したものです)

壁湯

10種類の湯で長期滞在でも退屈せずゆったり出来ます。

ホテルアソシア
高山リゾート  No.3

高山市越後町1134 

二階には洋食の「レストラン・ロジェール」と日本料理の「華雲(かうん)」があります。

洋食レストラン「ロジェール」
(Restaurant ROSIERE)

2Fエレベーターホールの東側がレストランです。

和食はご飯の他にお粥もあります。(これが美味しい!)

夕食は「ディナーバイキング」
大人¥3,800、小学生¥2,100、幼児¥900  ドリンク(ワイン・酒・ビール・ジュースなど)飲み放題

日本料理「華 雲」
(Japanese KAーUN)

入口を入ると日本庭園がしつらえてあります。

季節により各種会席料理が用意されています。(¥7〜9,000

画像は正月の「おせち料理」です。

喫茶はロビー階にある「ラウンジ・ジーナリー」

屋外の滝の庭で結婚式も執り行われるのを時々見ました。

今回宿泊したときも、たまたま式があり、池の上に会場を設営中でした。

簡単な朝食もあります。

お土産や雑貨はショップ・アベイルで。

                     ショップ アベイル
 飛騨の民芸品をはじめ、高山ならではのお土産とリゾート感覚のファッション雑貨からコンビニ商品まで取り揃えてあります。

カラオケルーム ジャック&ベティー

ジャックとベティの2室あります。(要予約)
ミニパーティー会場としてもご利用いただけるカラオケルームを用意しております。

町のカラオケルームに比べて以上に高額でした。

 

ホテルアソシア
高山リゾート  No.4

高山市越後町1134 

客室からの眺め

秋の眺め(御岳・乗鞍岳方面は雲で霞んでいます。)

冬の眺め

洋室「スタンダードツイン」

この画像は2003年当時のものです。(現在TVはデジタルです。)

                  基本的な洋室の「スタンダードツイン」の他に、
 「デラックスツイン」・「レディースツイン」・「レディースデラックス」3人用の「トリプルルーム」などがあります。
 このほか2室がコンビなった部屋や体の不自由な方の専用室もあるようです。

和室

和室には「スタンダード和室」のほか「特別和室1」「特別和室2」などの部屋が用意されています。

           全室に無線LANが導入されています。
 無線LANに接続可能なパソコンや無線接続可能なゲーム機などを持参すれば、無料で快適に部屋でのインターネットができます。
 (無線LANカードがないパソコンを持参した場合は、「コンバーター」を有料で貸していただけるようです)

和洋室

ツインベッドの他に6畳の和室が「和洋室」です
(この画像はアソシアホテルのHPから拝借)

小さな子供連れには便利なリゾート用の部屋です。

その他

テニスコートも2面あります。

アソシア高山の画像は過去の記録のものを中心に編集しましたが現在もほぼ同じと思われますので参考にしてください。