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2013.03.08

京都府木津川市加茂町

「石仏の里」と呼ばれる当尾(とうの)は、中世には修行のため数多くの寺院が建てられました。 
現在残る「岩船(がんせん)寺」と「浄瑠璃寺」の二寺の周辺には数多くの石仏や石塔が点在します。
その鎌倉時代に名高い石工が彫った石仏と、岩船寺、浄瑠璃寺を参拝する「当尾の里」巡りです。

                       現地の案内図と説明文と当尾のゆらい
 木津川市内東南部の加茂町当尾(とおの)地区は古来、南都仏教の影響を色濃く受け、世俗化した奈良仏教を厭う僧侶が穏遁の地として草庵を結び、念仏に専心したと伝えられています。
 やがて草庵が寺院へと姿を変え、塔頭が並び「塔の尾根」ができ、いつしか「当尾」と呼ばれるようになったといわれます。
 浄瑠璃寺や岩船寺周辺は、小田原と呼ばれ、寺院や修行場が散在し、行き交う人々のために多くの磨崖仏が造立されました。 これらは道を行き交う人々を優しく見つめてくれる道しるべとしての石仏達です。
 石仏は当尾の里の広範囲にわたります。
 散策コースの道中では旬の野菜が並ぶ吊り店(露店)など、四季折々の美しい山村の風景が楽しめます。
                              (現地説明文より)

この地区には四十五ほどの石仏がありますが今回はそのうち二十ほどの石仏を巡る予定です。

石仏巡りコース

松尾会員から頂いた「コース」地図を利用させていただきます。
出発は左上あたりの@丁石からJ浄瑠璃寺を経て岩舟寺までの石仏巡りをする予定です。
以下の説明は、この番号を付して進めますので参考にしてください。

出発は浄瑠璃寺と岩船寺への各路(舗装道路)の真ん中にある旧道から始めます。

石仏巡り入口
(旧道)

:石船寺へ 真ん中:石仏巡りの道 :浄瑠璃寺へ

案内石碑が折れて転がっています。

出発の分岐口から50mほどの左側(東側)に「@丁石」が案内板も無く立っています。 
(再掲:以後は石仏などの頭に「石仏巡りコース地図」にある番号を付けて説明します)

@.丁石

       丁石(現存する1本目)
 丁石は加茂の里から浄瑠璃寺まで1丁(約109m)毎に浄域に近づく際の笠塔婆で、鎌倉時代末期に建てられました。
 それぞれ上部に梵字が刻まれています。
 今は浄瑠璃寺参道の笠塔婆を含めわずか4本しか残っていません。
                 (木津川市観光ガイドより)

丁石」から50mほどの場所に「Aツジンドの焼け仏」があります。

A.ツジンド(辻堂)の焼け仏

やけ仏(阿弥陀三尊石仏)
元享三年(
1322

古くは辻堂と呼ばれる屋形がありましたが、度々の火災で焼失し、
阿弥陀石仏も火災で痛々しいお姿になっています。
銘文から元享三年六月八日に建立されたことが判明しました。
(加茂町観光協会)
「ツジンド」とは「辻のお堂」のことでしたが、火災で焼失し、石仏も損傷を受けました。
中央に阿弥陀如来、両脇に錫杖を手にした十一面観音と地蔵を従える堂々とした石仏です。
浄土信仰と地蔵信仰が結合した所産です。
 (木津川市観光ガイドより)

そのまま次の石仏へ旧道を進みます。

旧道を進む

意外にも200mほどで「浄瑠璃寺」への舗装道路へ出ます。
(旧道の散策を楽しみにしていましたが残念!)

舗装道路を約300mほど進むと右側に「たかの坊地蔵」があります。

B.たかの坊地蔵

舗装道路の右側(西側)雑木林の中の「西小(にしこ)公民館」前にあります。

中央の大きな地蔵様が「たかの坊地蔵」
小さな石仏群の中の、舟形の光背の矢田型の地蔵尊です。
風化してよく見えませんが、頭の周りには蓮弁の光背が刻まれています。
錫杖を持たない姿のお地蔵さまは、一般的に古いタイプのものとされています。
他の石仏群は室町時代のものです。
 (木津川市観光ガイドより)

更に舗装道路を150mほど進むと左側(東側)に2本目の「丁石」があります。

C.丁石(現存する2本目)

二基目の「丁石
一番上にかすかに「梵字」が見えます。

二基目の「丁石」の道の反対側に西小墓地の石仏群が見えます。

D.西小(にしこ)墓地石仏群五輪塔

西小(にしこ)墓地の五輪塔 重文(鎌倉)
いろいろ探しましたが多分この画像左の五輪塔がそうらしい(高さ2mほど)。
下から、地輪、水輪、火輪、風輪、空輪の五つの輪で五輪塔といいます。

墓地と石仏が広い場所のあるので「五輪塔」を探すのに一苦労でした。

一箇所に集める
各所に散らばっていた石仏を道路拡幅工事などで一箇所に集めたのだそうです。

3基目の「丁石」ほ西小墓地の100m程先の右側(西側)にあるはずですが?

丁石?

三ツ目の「丁石」ですが間違えたようです。

更に舗装道路を150mほどの右側(西側)にH浄瑠璃寺奥之院不動明王入口があります。

H.浄瑠璃寺奥之院不動入口

浄瑠璃寺奥之院不動明王入口
ここから約16分程で滝の飛沫を浴びる霊場奥の院に着く、
岸壁には鎌倉時代の永仁四年に彫られた磨崖仏があるが、
その岩が割れているため後に山本勝眞僧が石像不動明王及び
衿羯羅(こんがら)童子、制多咖(せいたか)童子の三尊をお祀りする。
現在も神聖な行場として信仰が絶えない。
(現地説明版より)

浄瑠璃寺奥ノ院瑠璃不動【永仁4(1296)】
浄瑠璃寺奥の院にあたるこの地には、かつて線彫りされた磨崖仏がありましたが、
元々ひび割れていたこともあり数十年前の大水で大岩が割れ、滑り落ちてしまいました。
水落ちで濡れた岩には、線状に刻まれている不動明王の痕跡が残っています。
その後、丸彫りの不動明王像と矜羯羅(こんがら)、制多迦(せいたか)の二童子の
「不動三尊」を祀っています。
他の石仏群は室町時代のものです。
(木津川市観光ガイドより) 

不動明王行場まで行きたかったが、仲間に置いていかれると困るので、諦めました。

道中

不動明王入口の次にF長尾阿弥陀如来坐像が道脇の高い所に祀られています。

F.長尾阿弥陀如来坐像

斜め上を指した標識
標識の指す道の反対側を見上げると、石垣の上に石仏が見えました。

美しい連弁の台座に座り、両手を腹部の前で∞形にした定印の阿弥陀です。
徳治2年(1307年)からここで人々の往来見守ってきました。
像の頭上に斜めに割れ目が走っていますが、後方の山から巨岩が続き、
前面もコンクリートで固めているので、これ以上割れる心配はないそうです。
(木津川市観光ガイドより)

ながおのあみだ 阿弥陀如来坐像
銘文 徳治二年未四月二九日(1307)造立之
願主 僧 行乗
立派な屋根石をもち、美しい連弁の台座をもった、定印の阿弥陀如来坐像。
(加茂観光協会 いずみ路観光協議会)

50mほど先の道の反対側(西側)の大木の下に小さな三地蔵が祀られています。

三地蔵

三地蔵(前掛けをきちんと掛けて)

更に70mほど進むと舗装道路の右側(西側)の民家横の藪に欠けた三磨崖仏が!
府道建設のため崖にあった仏(磨崖仏)の一部を移設しようとしたところ右端を業者が欠からかし移設されました。(罰当たりメ!)
そのため名前だけは「磨崖仏}

G.三体磨崖仏

元は磨崖仏だったものを、府道拡張工事に伴い移動されたもので、その際一部が破損してしまいました。
右側には錫杖を持った地蔵菩薩坐像が彫られています。
(木津川市観光ガイドより)

道中

あちらこちらに巨石が転がっているので、思わず石仏ではないかと近づいて確かめます。

浄瑠璃寺口まで来ました。ここまで出発の「分岐点」から37分1300m(近鉄バス発行「石仏コース」より)

浄瑠璃寺口

浄瑠璃寺へ到着最後の「丁石」

I.丁石(最後の4ツ目の丁石)

浄瑠璃寺門前角塔婆(四つめの最後の「丁石」)【文和4(1355)】
浄瑠璃寺の参道へ入ると左側に「丁石」がありました。
正面が浄瑠璃寺山門です。

吊り店
この辺は地元では採れた農産物を「並べる」のはなく「吊って」販売するようです。
(値段は100円が多く当尾の「100均」です。)

「名勝史跡 浄瑠璃寺 境内」の碑

では浄瑠璃寺へ参拝をします。

J.浄瑠璃寺

                    浄瑠璃寺
 寺号は、三重塔の内陣に安置されている薬師如来の浄土「瑠璃光浄土」から来ています。
 梵字の阿字をかたどったといわれている池を中心にして、東に薬師仏、にしに阿弥陀仏を配した庭園は極楽世界をこの世に表したもので、本堂は横に長く九体の阿弥陀如来を安置しています。
                           平安時代は30堂も
 平安時代には京都を中心にこのような寺も 30以上あったと言われていますが全て失われ、当時のまま現存するのは
 ここ浄瑠璃寺だけです。
                            (現地説明版より)

山 門

有名なお寺にしては山門が小さく彫り物なども簡素に思えます。

山門をくぐると左側に「鐘楼」があります。

鐘 楼

鐘楼も意外に普通です。

境内の中央に蓮池があります。

蓮 池

此岸と彼岸
池のこちら側(三重塔側)が此岸(しがん)、本堂側が彼岸(ひがん)

本 堂(国宝)
九体阿弥陀堂

浄瑠璃寺(九体寺)
この寺は平安時代後期(藤原期)の日本が生みだした浄土式伽藍がただ一つ完全に残された寺である。
即ち西方極楽浄土の阿弥陀如来をにしに、東方浄瑠璃浄土の薬師如来を東に、中央には宝池をおいて美しい浄土を現出している。
(現地説明版より)

浄瑠璃寺石燈籠(本堂前)【南北朝】重要文化財
典型的な六角型大和系の燈籠です。本来は本堂寄りにあったものを、
後の改築時に現在の場所に移されたことが発掘調査により明らかにされたそうです。
(木津川市観光ガイドより)

浄瑠璃寺石鉢【永仁4(1296)】
本堂前。形態から石臼であろうか。銘文が残っています。
(木津川市観光ガイドより)

九体阿弥陀如来像(国宝) 藤原時代
今は唯一のものとなった九体阿弥陀仏。 西の本尊で、未熟な私たちを理想の未来へ迎えてくれる如来。
”観無量寿経”にある九品往生(くぼんおうじょう)、人間の努力や心がけなど、いろいろな条件で
下品下生(げぼんげしょう)からはじまり、下の中、下の上と最高の上品上生(じょうぼんじょうしょう)までの
九つの往生の段階があるという考えから、九つの如来をまつった。
中尊は丈六像で来迎印(下生印)、他の八体は半丈六像で定印(上生印)を結んでいる。
寄木造、漆箔。
(説明文と画像は入場時に配布された小田原山浄瑠璃寺発行のパンフレットより)

本堂の対面に「三重塔」

三重塔(国宝)

三重塔(国宝) 藤原時代
平安末期の治承二年、京都一条大宮から移されてきたもの、。
初層内は扉の釈迦八相、四隅の十六羅漢図などと、装飾文様で壁画が埋められている。
元は仏舎利を納めていただろう。
この寺へ来てからは東方本尊の薬師仏を安置している。
(十六羅漢図は、重文)
(説明文は入場時に配布された小田原山浄瑠璃寺発行のパンフレットより)

浄瑠璃寺石燈籠(塔前)【貞治5(1366)】重要文化財
本堂前のものと同じ形式ですが、各部のバランスがよく、
蓮弁などの彫刻にも優れ、この時期の名品とされています。
(木津川市観光ガイドより)
本堂前に先ほど紹介した石灯籠が見えます。

浄瑠璃寺石仏群【鎌倉〜】
近年、西小坂口橋の架け替え工事で発見された五輪塔や石龕仏などが
集められ安置してあります。
石龕仏には、地蔵と弥陀と薬師、地蔵と十一面観音、弥陀と十一面観音などの
組み合わせがあり、興味をひきます。
(木津川市観光ガイドより)
この説明坂の後ろに多数の石仏がありましたが、
重要な石仏とは知りませんでしたので画像はありません。

山 門

浄瑠璃寺とお別れです。次は岩船寺へ

岩船寺へ行く前に昼食!

昼食

門前の駐車場うえの田んぼのあぜ道をお借りして昼食

午後の部出発(浄瑠璃寺〜岩舟寺へ)

浄瑠璃寺から岩舟寺までは約2300m、45分の予定です

岩舟寺まで2.3km

浄瑠璃寺の山門を出てすぐに南東の山へ入り数百mの所に「K水呑み地蔵」がありますが勝手に仲間と
別行動はまずいので全員と行動を共にすることにしました。(そのため画像なし)

K.水呑み地蔵

画像なし

浄瑠璃寺赤門跡水呑み地蔵【鎌倉中期】
奈良から笠置、伊賀への古道が通る赤門跡にはかつて浄瑠璃寺の南大門がありました。
錫杖を持つ姿のお地蔵さまは、火災に遭い風化も進んでいます。
傍らには今も水が湧き出ています。
(木津川市観光ガイドより)

浄瑠璃寺を出発して300mほどでL藪の中三体仏

L.藪の中三尊

舗装道路から少し奥へ入った処にあります。

やぶの中三尊
十一面観音菩薩立像・地蔵菩薩立像・阿弥陀如来坐像
銘文 東小田原西谷浄土院 弘長二年(1262) 大工 橘安縄 小工 平貞末
正面に地蔵菩薩、向かって右に錫杖を持つ長谷型十一面観音。
左の岩には阿弥陀如来坐像。
銘文にある弘長二年は当尾の石仏にある年号銘中最古のもの。
(加茂町観光協会 いずみ路観光協議会)

藪中三尊磨崖仏
藪の中の岩に舟形の光背を彫りくぼめ、中央に地蔵と十一面観音、向かって右に阿弥陀を配する非常に珍しい配置の石仏です
(現地説明版より)

ここで仲間は新道をどんどん岩舟寺へ向かって進みます。
L藪中の三尊磨崖仏の向かいに「大門石仏群」への山道があります。
思い切って、仲間と別れ奥にあるM首切り地蔵N東小五輪塔O大門石仏群まで行ってくることにしました。

13-2大門仏谷分岐

仲間と分かれて
下の地図のL地点の向かいの分岐道を北へ入りM首切地蔵、N東小五輪塔、O大門石仏群まで行ってみます。

計算では往復距離620m時間にして10分の寄り道のはずです(急げ!)

分岐点から70mほどで消防センターの建物が見えてきました。

M.首切り地蔵

地図では分岐点から7〜80m
正面に標識らしきものが見えた。(1分20秒)

矢印に沿って奥へ入る

消防団の建物裏に牌が見えました。

首切地蔵 阿弥陀石像 弘長二年(1262
当尾(とうの)の在銘石仏の中では最古の物です。
首のくびれが深く切れているためともまた、処刑場にあったからともいわれています。
(加茂町観光協会)

ここまで分岐から1分40秒かかりました。

次へ急げ!

東小(ひがしこ)墓地が見えてきました。

ここまで4分30秒

N.東小墓地の五輪塔など

奥にも石碑が見えるが「五輪塔」が見えない
大門石仏群【室町〜】
竹藪の中、細い山道に大門の阿弥陀寺跡や鎮守社近くにあった石仏、石塔などを集めて
安置しなおしたもので、地区総出で数日を要したそうです。
六字名号板碑や五輪板碑などもあり、変化に富んでいます。
(木津川市観光ガイドより)

「五輪塔」が見当たらない

地蔵像の手前に燈籠がありました。

「五輪塔」らしきものがありましたが足場が悪くて近づけませんでした。

ここから北へ分岐する道を700m程進むと「穴薬師」がありますが諦めます。

Q(参考)穴薬師

立派な石垣に石室でお祀りされています。
元の画像が小さいので、うまくスキャンできませんでした

ここまで5分20秒(予定より時間オーバー)ですが
この奥にある「春日神社と大門石仏群」へ向かいます。

O.春日神社と大門石仏群

春日神社

墓地の入口近くに五輪塔らしきものがありましたのでそれと決めて撮影終了。

この奥に有名な大門仏谷如来型大磨崖仏がありますが、ここより奥に10分程度必要のため諦めて引き返すことにしました。
(ここまで分岐から7分!予定より2分オーバー)
走って分岐点まで戻るぞ!

行けなかった
P
.大門仏谷の如来形大磨崖仏

松尾会員から頂いたガイドブックに掲載されていた大磨崖仏の画像を掲載させていただきますので
その大きさを実感してみてください。

当尾地方での石仏の中で一番大きい磨崖仏ではないでしょうか。
行けなくて残念でした。(6メートルもの岩を彫ってあり、像高288cm
大門仏谷の如来形大摩崖仏【平安末期】
当尾の石仏群中、最大の磨崖仏です。
像名に関して、阿弥陀如来、弥勒如来、釈迦如来などの諸説があり、まだ確定しきれていません。
また製作時期に関しても奈良前期から鎌倉中期までの諸説があり、
今後の研究課題を与えてくれる大きな仏さまです。
かつては真下まで行ける道があったのですが、現在は草に埋もれてしまい、
谷を隔てた道が拝所となります。
(木津川市観光ガイドより)

走って分岐へ戻って仲間の後を追うことにします。
(仲間より遅れること約10分)

13-2大門仏谷分岐

分岐点へ戻る
O.春日神社と大門石仏群」から走って約4分で本道へ出ました。
しかし、往復で10分と予定通りでしたが13分かかりましたので走って仲間を追う事にしました。

少し進むと正面にRあたご燈籠」が見えます。

R.あたご燈籠

あたご燈籠
三叉路に建つ形式にとらわれない変わり灯篭で、愛宕神は火の神様(火伏せ)を司っています
(現地説明版より)
あたご燈籠【江戸】
当尾ではお正月にここからおけら火を採り雑煮を炊く風習があったそうです。
同型の燈籠が、穴薬師の前と岩船の集落にもあります。
(木津川市観光ガイドより)

「あたご灯籠」三叉路から山道へ入ります。

所々に標識があるので心強いが、ひと一人出会わないので焦ってはしり歩きました。

山道をし5分ほど走ると、突然広い空間に出て「S.カラスの壷二尊」標識が目に入ります。

S.カラスの壷二尊

からすの壷二尊
阿弥陀如来坐像

銘文 康永二年未三月十五日(1343)願主 恒性
地蔵菩薩立像
銘文 康永二年未三月二十四日(
1343)願主 勝珍

舟型光背を持つ定印の阿弥陀如来、向かって右端に地蔵菩薩立像がおられます。
阿弥陀如来の横に線刻の灯籠、火袋に灯明を供えることができます。
(加茂町観光協会 いずみ路観光協会)

ここで間違いを起こしました。

急いでいたので失敗!
「からす(唐臼)の二尊」とは「阿弥陀如来坐像」と右の小窓の中に地蔵尊があると
勘違いしていました。
まさか阿弥陀様の裏に彫られているとは気付かず画像を撮らず!

一つの岩に阿弥陀如来坐像と、面を変えて地蔵菩薩立像があります。
(説明は現地説明版より・画像は松尾会員のコース案内ガイドから)

ここから北の山側へ250mほど入ったところに「一鍬地蔵」があるので横道に反れ行ってみます。

上の地図のSカラスの壷二尊から一鍬地蔵まで往復500m

S.カラスの壷二尊」から180m程(約3分)奥にあります

.一鍬地蔵

.一鍬地蔵
これは分かりにくいが大きな石の上部に鍬を入れたような窪みがあり、そこに線刻されています。
それが地蔵なのかどうかはよく分かりませんが命名がなかなか上手いと思いました

一鍬地蔵磨崖仏【鎌倉中期】
大きな岩肌を見上げるとあたかも鍬で削り取ったような窪みの中に、
高さ 1.5m ほどのお地蔵さまが線彫りされています。
かつては笠石があったようですが、現在は失われており風化が進んでいます。
頭部から二重の光を放っています。
(木津川市観光ガイドより)

「一鍬地蔵」から本道へ戻り(往復5分かかりましたので仲間からは15分遅れです)
急いで「わらい仏(眠り仏)」へ向かいます。

.内の倉不動明王

 木津川市観光協会の当尾(とうの)石仏巡りコース案内には
「内の倉不動明王への道は整備されておらず、散策はお勧めできません。」
 とありましたので、メインコースから脇道へ100m以上入る場所にあるので
石仏巡りは中止しました。

内ノ倉不動明王石仏【建武元(1334)】
一鍬地蔵磨崖仏の反対側の谷奥深くにあり、道標もありません。
建武元年の銘はありますが、像容は風化が進みとても見づらくなっています
(木津川市観光ガイドより)

「わらい仏」への道中に「唐臼の壷」があります。

唐臼(からす)の壷

臼の軸受けような礎石(?)があることから、 唐臼 ( からす ) の壷と呼ばれているようです。
S「からすの壷二尊」との関係はあるのでしょうか?

「唐臼の壷」を過ぎて約6分歩くと「わらい仏(眠り仏)」の手前へ着ます。

「わらい仏(眠り仏)」の手前50mほどの左側に「岩船不動明王立像」への脇道があります。

後で分かったこと
「岩船不動明王立像」へは「岩船寺」からの道を下ったほうが楽です。

こちらから岩船不動明王まで石段を登って(最後は滝壺へ下って)キツイ道です。

かなり急な石段が150mほど続きます。

途中(2分ほどの距離)に「八畳岩と言う大きな岩があります。

八畳岩

更に登ります。

岩船寺からの路と不動尊へ下る路の分岐へ着きました。
(ここから岩船寺までは約3分ほどで行けます。)

岩船不動明王へ下ります。(約1分ほどで不動尊へ着きます)

ただ一つだけのお願いを、一心にお願いすれば、叶えてくださるという一願不動です。

.岩船不動明王立像
一願不動)

            一願不動と言われるわけ
 竹と杉木立が生い茂る薄暗い藪の中の巨岩に彫られ、高さ約1.2mで等身大の力強いお不動さんで、頭上に開花蓮を載せ、右手には棍棒を持ち、怒っている様な顔だけど何処となくユニークな面持ちです。
 なお、ここのお不動さんは、1つだけ、一心にお願いすれば、その願いを叶えて下さるので、「一願不動」とも呼ばれます。
 なお、彫られたのは鎌倉時代1287年(弘安10年)です。
 不動
明王が彫られている大岩の下から水が湧き、なんとなく湿っぽく、大岩に苔が生えています。
                     (現地説明板より)

再び元の道まで登って下ると「わらい仏」が見えてきます。

.わらい仏ねむり仏

S「からすの壷二尊」から400mほどの場所です。
コースの左側上にあります

わらいぼとけ
観世音菩薩坐像・阿弥陀如来坐像・勢至菩薩坐像

銘文 永仁七年二月十五日(1299
願主 岩船寺住僧  大工 末行

当尾の石仏の中でも最も知られた阿弥陀三尊像です。
蓮台を捧げた観音、合掌した勢至の両菩薩を従えた浄土への来迎を示すお姿の阿弥陀如来です。
(加茂町観光協会 いずみ路観光協議会)

わらい仏(京都府指定有形文化財)阿弥陀三尊磨崖仏
当尾(とうの)の代表的な石仏の一つです。
蓮台を持つ観音菩薩と合掌する勢至菩薩を従えた阿弥陀仏です。
(木津川観光協会)

わらい地蔵のすぐ横の草むらに隠れるようにねむり地蔵があります。

ねむり地蔵

 眠り仏(埋もれ地蔵)【南北朝】
 わらい仏の向かって左脇に、半身を土のお布団にくるまれて心地よくすやすやと眠るお地蔵さまがいらっしゃいます。
 眠りながらも右手には錫杖を持っておられます。わらい仏と同じ伊派の石工行経(作)か?
      (木津川市観光ガイドより)

コースに戻り100mほど進むと左側に小さな四方仏石があります。

四方仏石

小さな石の四方に仏が彫られています。

四方仏からミロクの辻へ向かいます。

道中

舗装道路へ出たところが「ミロクの辻」です。

四方仏から約400mミロクの辻へ出ます。

ミロクの辻阿弥陀仏線彫磨崖像

「石仏に道」から舗装道路へ出る右手にミロクの辻の阿弥陀仏線彫磨崖像があります。

弥勒磨(みろく)崖仏
銘文 文永十一年(1274
笠置寺の弥勒如来磨崖仏を写したものとして有名です。
笠置に近い当尾で弥勒信仰を物語る貴重な作例と言えます。
(加茂町観光協会 (社)京都府観光連盟)

再び石仏の道へ

「ミロクの辻」を舗装道路へ出て左(西)へ曲がると前方の右手の林の入口に小さな案内板が見えてきます。
(画像の道路前方右側に小さく見えます)

「石仏の道」へ入いったすぐに石仏があります。
奥へ進み「三体地蔵」へ向かいます。

道  中

心細いような細い道を120mほど進むと「三体地蔵」の標識が見えてきてホットました。

.三体地蔵

三体地蔵磨崖仏【鎌倉末期】
旧道沿いの岩肌に、長方形の龕を彫りくぼめ、三体の地蔵菩薩が厚肉彫りされています。
三体とも左手に宝珠、右手に錫杖を持っています。
過去、現在、未来をそれぞれ割り当てたもので、六地蔵信仰以前の地蔵信仰の一形態といわれています。
(木津川市観光ガイドより)

あとは「岩船寺」を目指して歩きます。

 山中の道を約460m(7分)ほどで「岩船寺(がんせんじ)」門前へ着きます。

岩船寺門前に岩風呂と呼ばれる大きな石おけがあります。

岩風呂

岩船寺門前石風呂【鎌倉】
山門の階段下に置かれています。ここで修行僧が身を清めたといわれています。
(木津川市観光ガイドより)

また、この門前から「一願不動明王(岩船不動)」へ楽に行ける道があります。

山門脇から一願不動明王まで

岩船寺の境内脇の路を下ると、先ほどの岩船寺奥之院不動明王への下り口へ出ます。

わらい地蔵からの道より、こちらが
「岩船寺」脇道から「一願不動明王(岩船不動明王)」下り口まで約270mです。

岩船寺門前に南北朝時代のお地蔵様があったそうです。

門前の地蔵石龕像 

門前の地蔵石龕像 南北朝時代
門前左側にひっそりと建つ石龕のお地蔵さまです。

では終点はあじさい寺の別名がある「岩船寺」へ参拝します。

あじさい寺

.岩船寺

(がんせんじ)

 

岩船寺は別名「あじさい寺」
呼ばれています。

岩船寺境内図
(岩船寺発行「岩船寺」パンフレットより)

山門 

 

山門をくぐってすぐ左手に重要文化財石室不動明王立像があります。

石室不動明王立像
石室(重要文化財)

石室の奥に火焔を背負う不動明王が立っています。右手に剣、左手に羂索を持っています。眼病に霊験があるとされています。 

花崗岩製で奥壁には不動明王像を刻み、手前左右に2本の角柱を立て、これらで寄棟屋根を支える。
応長二年(1312年)の銘がある。
(フリー百科事典ウィキペディアより)

鐘楼

浄瑠璃寺と同じく鐘楼は簡素なものでした。

次は三重塔へ

三重塔

あじさいの季節には「あじさい寺」になります。

阿字池を挟んで三重塔を望む

三重塔(重要文化財) 
室町時代の嘉吉2年(1442年)に建立された三重塔で、初重の内部には来迎柱を立て、
須弥壇と来迎壁を設ける。
(現地説明板より)

    三重塔(室町時代)重要文化財
 仁明天皇が智泉大徳の遺徳を偲んで承和年間(834〜847)に宝塔を建立したと伝える。
 塔は境内の奥、東を正面として建つ。
 現存する塔には室町時代の嘉吉二年(1442)の刻銘があることから、この時の建立とされる。
          (岩船寺発行「岩船寺」パンフレットより)

岩船寺さんの了承を得て、三重塔の壁画を載せさせていただきました。
このページは、岩船寺さんの公式HPではありません。
管理はあ志び乃店がやっております。

四隅を支える「隅鬼」
三重塔の組物、尾垂木上で隅木を支える隅鬼があります。
四隅とも違った姿でした。

次は本堂へ

本堂

本堂 は昭和63年(1988年)に再建された建物で、平安時代の阿弥陀如来坐像が安置されています。

本尊阿弥陀如来座像(平安時代)重要文化財
 天慶九年(946) ケヤキの一本造、作者 行基
四天王立像(鎌倉時代)不指定文化財
 持国天(東)、増長天(南)、
 広目天(西)、多聞天(北)
(岩船寺パンフレット「岩船寺」より)

地蔵石仏(厄除け地蔵)【鎌倉後期】
堂内に安置されており、二重の光背を持ったお地蔵さまです。

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(堂内の何処にあったかな?)

副住職による当寺やご本尊の縁起を聞かせて頂きました。

阿字池

阿字池
名前の由来は「阿」の字に似せた形からだそうです。

十三重塔

十三重石塔 【鎌倉中期】重要文化財
13個の笠石を積み重ねた高さ6.3mの十三重塔
大きな基壇の上に建つ十三重石塔で、各部の欠損もなくバランスのとれた重厚感ある塔です。
初重軸部の四仏は梵字で表されています。

五輪塔

岩船寺五輪塔(三重塔脇【鎌倉後期】重要文化財
反花座を持つ大和系五輪塔で、当尾では最大のものです。
(五輪塔は下から、地輪、水輪、火輪、風輪、空輪の五つの輪で五輪塔といいます。)

岩船寺は神仏霊場であるので、境内には神社もあります。
(場所は受付裏の山道を北へ、庫裡脇(東側)を通って山側にあります)

白山神社・春日神社

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なお、境内の裏山には白山神社と春日神社の社殿が並んで建ち、
向かって左の白山神社本殿は重要文化財である(室町時代建立)。

以上で参詣を終わり帰路へ就きます。

山門

この参道の右側に石室不動明王立像(重要文化財)があります。

石段

この石段の「地蔵石龕像」( 南北朝時代)があります。
石段を降りた右側の木の脇に「石風呂」が見えます。

本日は浄瑠璃寺・岩船寺と、当尾(とうの)近辺の二十六石仏のうち十八石仏とを巡りました。
最後に堀茂会長の句・水彩画で締めくくります。

安らぎを くれる浄土や 当尾の里
                                                                          堀 茂

堀茂会長の「春のお知らせ」で締めくくらせて頂きます。