2012.08.13

京都市左京区大原来迎院町540

三千院門跡とも称する。山号は、魚山(ぎょざん)、本尊は薬師如来、開基は最澄である。

京都大原
三千院
(さんぜんいん)は、京都市左京区大原にある天台宗の寺院です。
周囲にある青蓮院、妙法院があり、天台宗の三門跡寺院の1つに数えられています。

大原の里
京都市街の北東山中、かつては貴人や仏教修行者の隠棲の地として知られた大原の里にあります。

大原の地
大原の地は千有余年前より「魚山(ぎょざん)」と呼ばれ、仏教音楽(声明=しょうみょう)の発祥の地であり、
念仏聖(ねんぶつひじり)による浄土信仰の聖地として今日に至ります。
(説明文は三千院門跡寺務所発行のパンフレットより)

「鯖街道」
街道は昔、京都と若狭を結ぶ「鯖街道」です。

「鯖街道」から細い道を登り三千院へ

参詣道の横を流れる川が「呂川」(呂川の言われ)
「律川」は三千院と玉泉院の間を流れる川)
仏教音楽「声明」の発祥地により、呂曲・律曲の旋律に因んでなづけられた、
今も二つの川が、其の韻を響かせて流れている。
その流れは高野川の支流でやがて京都市街を縦貫する鴨川に合流している。
(現地説明板より)

三千院門前に近づくと土産物店から茶屋に変わります。

三千院に着きました。

魚山 三千院門跡
拝観料金:600円
(山号の魚山 のいわれ 中国の山東省にある仏教音楽「声明」の聖地「魚山」に因み、
この三千院一帯が魚山と名付けられ、三千院の山号となった。
(現地説明板より)
門跡
(もんせき、もんぜき)は、皇族・貴族が住職を務める特定の寺院、あるいはその住職のこと。

入館料:600
ご注意:入場券をよく見ると「円融蔵宝物館入場券」となっています。
場所は一番奥の観音堂横にあり入場券を購入すると頂けるパンフにも明記されていません。

御殿門

門跡寺院
城郭を思わせる寺の周囲の石垣、白い土塀、門構えなどが門跡寺院の風格を示しています。
(画像と説明文は三千院門跡寺務所発行のパンフレットより)

順路図 矢印:順路
伽    藍
 ・正門に当たる境内南側の朱雀門は常に閉じられており、西側の御殿門から入ることになります。
 ・城郭を思わせる寺の周囲の石垣、白い土塀、門構えなどが門跡寺院の風格を示しています。
 ・境内北側には宸殿、客殿とそれらを囲む有清園、聚碧園と呼ばれる池泉回遊式庭園があります。
 ・南側は、瑠璃光庭と呼ばれる杉苔でおおわれた庭園の中に往生極楽院が建っています。
「二十五菩薩石庭」は、是非足を運んでください。
・売炭翁石仏は鎌倉時代の石仏です。
円融蔵宝物館」は観音堂(朱印)のとなりにあります。入館料はここの料金です。
(画像と説明文は三千院門跡寺務所発行のパンフレットより)

律川と呂川
境内の両側を流れる律川と呂川は山号「魚山 三千院」の魚山いわれは
中国の山東省にある仏教音楽「声明」の聖地「魚山」に因み、
呂曲・律曲の旋律に因んで名付けられた川で
今も二つの川が、其の韻を響かせて流れている。
(画像と説明文は三千院門跡寺務所発行のパンフレットより)

三千院
天台宗五箇室門跡の一つ。
最澄(伝教大師)が比叡山に庵を結んだ時、東塔南谷に一堂を建立したのが起こり。
本堂往生極楽院(重要文化財)は、江戸時代に大修理を行ったが、内陣は、比較的古形を保つ、
殊に山形に板を貼り、二十五菩薩の来迎図を描いた船底天井は有名で、
堂内に阿弥陀如来両脇士坐像(三体・重要文化財)が安置される。
大正初年に修補された客殿内部各室の襖は竹内栖鳳等、当時の京都画壇を代表する五氏の筆により飾られている。
京都市

客  殿

三千院の縁起:歴史
比叡山延暦寺の別院、天台宗門跡寺院。江戸時代には延円徳院、円融院、等と号し、
梶井門跡、梨本坊等とも呼ばれ、三千院と呼ばれるようになったのは明治以後。
本尊は阿弥陀如来
創立は最澄が788年に比叡山の梨の樹のもとに円融房を立てたのが始まり。
極楽院は恵心僧都(えしんそうず)の妹安養尼の庵、持仏堂の旧跡と言われ、
三千院のパンフレットにもそうあるが、高松中納言実衡妻の真如房尼によって
1143年から1148年建立されたという説もある。
(現地説明板より)

客殿
客殿は平安時代、龍禅院と呼ばれ、大原寺(だいげんじ)の政所(まんどころ)でありました。
豊臣秀吉が禁裏(きんり)修復の余材をもって修築されました。
(三千院門跡寺務所発行のパンフレットより)

聚碧園(しゅうへきえん)

聚碧園(しゅうへきえん)
客殿からみた池泉鑑賞式庭園

                  京都市指定名勝
             三千院有清園庭園及び聚碧園庭園
 三千院には往生極楽院阿弥陀堂を中心とした有清園庭園(瑠璃光庭)と、客殿に面する聚碧園庭園の二つの庭園がある。
 有清園は、往生極楽阿弥陀堂を中心に、「細波の滝」の石組・中島を有する池等が設けられ、杉の立ち木とスギゴケを中心とした
特徴的な景観を作り出している。
 また、聚碧園は、小さな滝流れ・二段の池・築山と、縁先手水鉢からの流れに伴う平庭からなり、築山ごしに有清園の杉の木立や、往生極楽阿弥陀堂を望むことができる。
 双方の庭園とも、スギの木立や、滝流れや池、あるいは築山等の美しい景観を作り出している寺院の庭園として貴重である。
                             平成十二年四月一日指定 京都市

聚碧園(しゅうへきえん)
聚碧園客殿からみた池泉鑑賞式庭園で江戸時代の茶人・金森宗和の修築と伝えられます。
本殿の宸殿より極楽院を眺める有清園は中国の六朝時代を代表する詩人、謝霊運(しゃれいうん)の
「山水清音有」より命名された池泉回遊式庭園です。
(三千院門跡寺務所発行のパンフレットより)

客殿から廊下を渡り宸殿へ

宸  殿

宸殿の御懴法講道場

宸殿の御懴法講道場
宸殿は後白河法皇により始められた宮中御懴法講(声明=しょうみょう=による法要)を今に伝える道場です。
御本尊は傳教大師作と伝えられる秘仏、薬師瑠璃光如来です。
又、西の間は歴代住職(法親王)をお祀りする内仏で、東の間には玉座を設(しつら)え、
襖には下村観山筆の虹が描かれ、虹の間とも呼ばれます。

(画像と説明文は三千院門跡寺務所発行のパンフレットより)

 
 

宸殿を出る。
殿内の廊下をぐるぐる回っているうちに宸殿に出ました。
(拝観コースはここで靴を履いて外へ出ます)

宸殿から見た有清園庭園。
聚碧園と同じく江戸時代初期に金森宗和によって築庭されたと言われている。
向こうに見えるのは往生極楽院阿弥陀堂(極楽院とも呼ばれる)は三千院の本堂です。
有清園庭園スギ木立ちと苔 はよく手入れされていて三千院の庭の代表です。
(現地説明板より)

有清園庭園

有清園庭園から見た宸殿

往生極楽院

三千院 往生極楽院
寺伝では寛和(かんな)二年(986)に「往生要集」の著者で天台浄土教の大成者である恵心僧都源信が
父母の菩提のため姉の安養尼と共に建立したと伝えられます。
お堂に比べて大きい「阿弥陀三尊像」(国宝)を納める工夫として、天井を船底型に折り上げています。
現在では肉眼ではわかり難いものの、その天井には極楽浄土に舞う天女や諸菩薩の姿が極彩色で描かれています。
平成十八年秋、開館の重要文化財収容施設「円融蔵(えんゆうぞう)」の展示室に復元模写されて、
創建当時の面影を知ることができます。
(説明文は三千院門跡寺務所発行のパンフレットより)

阿弥陀三尊像(国宝)

阿弥陀三尊像(国宝)
中尊の阿弥陀如来は来迎印(らいごういん)を結び、右の観世音菩薩は往生者を蓮台に乗せる姿で、
左の勢至菩薩(せいしぼさつ)は合掌し、両菩薩共に少し前屈みに跪(ひざまず)く「大和坐り」で、
慈悲に満ちたお姿です。

(画像は三千院門跡寺務所発行のパンフレットより)

舟底形天井画

船底型天井画
現在では肉眼ではわかり難いものの、その天井には極楽浄土に舞う天女や
諸菩薩の姿が極彩色で描かれています。
平成十八年秋、開館の重要文化財収容施設「円融蔵(えんゆうぞう)」の展示室に復元模写されて、
創建当時の面影を知ることができます。

(画像と説明文は三千院門跡寺務所発行のパンフレットより)

門跡寺だけあって、至るところに菊のご紋が。

西 方 門

西方門
有清園庭園から円融房(最澄が788年に比叡山の梨の樹のもとに
円融房を立てたのが三千院の始まりと言われる房)への門
(説明文は三千院門跡寺務所発行のパンフレットより)

朱雀門

三千院の正門
正門にあたる境内南側の朱雀門は常時閉じられており、日常は西側の御殿門から入る。

境内北側には宸殿、客殿とそれらを囲む有清園、聚碧園と呼ばれる池泉回遊式庭園がある。
南側は、瑠璃光庭と呼ばれる杉苔でおおわれた庭園の中に往生極楽院が建つ。
(説明文は三千院門跡寺務所発行のパンフレットより)

往生極楽院と苔の中の「わらべ地蔵」の数々

弁天池の傍の「わらべ地蔵」

弁天池から延命水を見落として拝観し「弁財天」の石段まで来てしまいました。

金色不動堂

鳥居をくぐると「宇賀神」「妙音福寿弁財天」へ、石段を登ると「金色不動堂」

金色不動堂
紫陽花(あじさい)苑内にある金色不動堂は、智証(ちしょう)大師作と伝えられる秘仏金色不動明王を本尊とし、
平成元年に建立された、御祈願の根本道場です。
(画像と説明文は三千院門跡寺務所発行のパンフレットより)

金色不動堂横の石段を登ると「観音堂」

観 音 堂

観音堂
観音堂には身の丈3メートルの立像の観音像がお祀りされています。
(画像と説明文は三千院門跡寺務所発行のパンフレットより)

身の丈3メートルの立像の観音像が自由に拝めます

観音堂のに「円融蔵(えんにゅうぞう)」が在ります。

円融蔵(えんにゅうぞう)

円融蔵(えんにゅうぞう)
平成十八年秋に開館したの重要文化財収容施設で、展示室を備えています。
その天井には往生極楽院の舟底型天井画の復元模写を設えています。
現在では往生極楽院の天井画は肉眼ではわかり難いため、ここに復元模写し、
極楽浄土に舞う天女や諸菩薩の姿が極彩色で描かれ創建当時の面影を知ることができます。
平成十八年秋に開館したの重要文化財収容施設「円融蔵(えんゆうぞう)」の展示室に復元模写されて、
また所蔵重要文化財の展示を行い、毎年春には特別展を開催します。
(画像と説明文は三千院門跡寺務所発行のパンフレットより)

入館料:600
ご注意:入場券をよく見ると「円融蔵宝物館入場券」となっています。
場所は一番奥の観音堂横にあり入場券を購入すると頂けるパンフにも明記されていません。

その横には「二十五菩薩石庭」があります。

観音堂の石庭二十五菩薩慈眼の庭
補陀落浄土(ふだらくじょうど)を再現した石庭には二十五菩薩慈眼の庭が配されています。

思いがけぬ鎌倉時代の石仏に出会いました。

売炭翁石仏

三千院門跡寺務所発行のパンフレットには「売炭翁石仏」とあります。

夜尿症が治る!
石仏は鎌倉時代中期のもので、大原の石仏といわれ、水をつけると子どもの夜尿症が治ると伝えられています。

かなり奥の方まで来たのか、参詣者は見当たりません。
心細くなって急いで出口へ戻ろうと焦りました。

意外と早く「御殿門」へ戻れました。

門を出ると茶屋通りが見えてホッとしました。

鯖街道まで戻ると駐車場へ

鯖 街 道


この旧若狭街道は、鯖街道とも呼ばれ、その昔日本海で獲れた浜塩の鯖などの海産物を京の都へ運ぶ経済の幹線でした。
また、仏教が中国か、朝鮮を経て、若狭に流入し、仏教を国是とした大和朝廷まで南下していった「ブディズム街道」、
「日本のシルクロード」でもありました。
(道端の説明版より)